この手に 戦場において、まさかこのように美しい光景を目の当たりにしようとは、馬超は思ってもみなかった。 舞うように繰り出される槍の一閃が、飛び散る緋色を反射して、紅く煌く。 すっ、と通る鼻筋、整った輪郭、そして黒曜石を埋め込んだのかとも見紛う、漆黒の瞳に映るは狂気を孕んだ鋭い光。 白亜の馬に跨って、次々と息つく間もなく敵を薙ぐその人物は初見であったが、その敵将に激しく心を捕らわれた。 「あれは?」 その敵将の戦う様をやや離れた、綿竹の森を背後に控える小高い丘から眺めていた馬超が、護衛の兵に馬上から問う。 兵士がやや恐れをなしたように、しかし馬超と同じようにその敵武将に魅入られたように、言った。 「あの方が常山の趙子龍です。長坂の単騎駆けの噂はご存知ですか?」 「!なんと、あれがそうか…」 長坂の敵陣単騎駆けの話は、馬超も耳にした事があった。 何十万もの敵兵を薙いで、劉備の子を救った英雄。 もっと、いかつい奴を想像していたが… と、馬超は想像の趙雲と、目の前の実物を比べて感心したように、彼を見詰め直す。 やはり美しいという形容が、最も合うように思えた。 「ふ…」 一笑して、馬超は槍を握り直す。 何故だか唐突に、彼に勝負を仕掛けたくなった。 勝ち負けは特に関係ない。 ただ、刃を交えたくなったのだ。 あの舞うような戦ぶりを、間近で見たくなった。 手綱を握り、馬の腹を小さく蹴って走り出させる。 丘の斜面を一気に下って、一直線に兵卒に囲まれても怯むようすの全く無い趙雲に向かって行った。 「我こそは西涼の錦馬超なり!!いざ、尋常に勝負!!!」 威勢良く名乗りを上げて、槍を小脇に構える。 一瞬だけ驚いた顔を見せた趙雲も、次の瞬間には順応して、すぐに槍を構え直した。 「お受け致す!」 短い返答。 やや間合いを見る沈黙があって、先に攻撃をしかけたのは馬超だった。 「はぁっ!!」 真一文字に槍を薙ぐ。 それを趙雲が極小さい動作で弾いて、そのまま反動を使って下から上へと穂先を振るが、紙一重で馬超がかわした。 その後を追って、趙雲の槍がすぐさま横から来たが、なんとか槍を地面と垂直になるように持ってきて、柄で防ぐ。 相手の体制がやや崩れた隙に、地を見ていた石突を次は平行にして趙雲の胸を狙って突くが、相手もさる者。 石突のすぐ手前とそれにやや近いところを持って、趙雲が突きを防いだ。 そのまま遠心力で以って、穂先をぐるりと巡らせ、馬超の死角、丁度鐙の足元から掬い上げるようにして薙ぐ。 馬超はその攻撃を避け切れず、物の見事に落馬してしまった。 「うぐっ」 背を打ち付けて息が詰まる。 間を置かずにどすっ、と耳元で地を突く音が聞こえて、横目で見ればそれは槍の穂先。 頬のすぐ近くで、その穂先は先端を地に埋めていた。 見上げれば、日を背にした趙雲が、馬上から落馬した敵の動きを制する意味で槍を地に突き刺し、自分を見下ろしているのが目に入った。 ふ、と馬超は小さく溜め息をつく。 「俺の負けか…」 静かに言って、趙雲の槍を片手で掴むと、それを支えに上体だけ起こす。 「安心されよ、趙雲殿。俺はもう、戦う気はない」 さっと辺りを見回すと、そこにはもう雑兵の姿はほとんどなく、敵も味方もなくなった哀れな骸が転がるばかりである。 不意に、綿竹の向こう、成都の城の方角から歓声が上がった。 「やれやれ、我らの負けのようだ」 少しも悔しそうにすることなく、馬超が言って、そして見事な装飾のなされた兜を脱いだ。 金糸が現れ、静かに風に遊ぶ。 いつの間にか趙雲が馬から降り、座る馬超の傍らに立っていた。 先程までの殺気は感じられない。 「馬超殿、と仰いましたか」 静かに呼びかけられ、馬超が趙雲を見上げる。 そして、僅かに目を見開いた。 趙雲が緩やかに微笑んでいるのが、目に入った。 彼も膝を着いて、馬超と視線を合わせる。 「我が君主、劉備様の元に降りませぬか?」 「…劉備に?」 「ええ、貴方のその武勇、是非とも殿の大義のために奮って頂きたい、と」 笑みかけられ、妙な高揚感が襲ってきた。 いや、そもそも戦う前から己の気分は随分と高揚していた。 それとはまた、違った高揚感。 「そうだな…」 思案するような口調で言って、馬超は趙雲の左手首を掴む。 そしてそのまま、掴む手に力を込めて趙雲を引き摺り倒し、その上に覆いかぶさるように乗った。 「!?」 唐突な出来事に趙雲は目を見開くが、その瞳は馬超の真摯な瞳を映すことしか許されなかった。 「馬超ど…」 名を呼ぼうとしてしかし、唐突に唇に柔らかいものが被さって、言い切れずに終わる。 それが馬超の唇であることを認識したのは、一度彼が離れたときだった。 しかし、抗議の声を上げる間もなく、再び重なる唇と唇。 今度は、先程よりも深かった。 馬超の舌が趙雲の歯列をなぞり、僅かに開いていた合間をぬって、口腔内に押し入る。 「ん…っ」 さんざ、口腔を蹂躙され舌が絡め取られる感覚に、奇妙な悪寒を感じて、趙雲は足掻いた。 だが、掴まれていた左手と空いていたはずの右手をも、馬超の片手だけで仰向けに倒されていた己の頭上に一括りにされてしまう。 肺が酸素を欲している。 息苦しさに胸が詰まった。 だが、まだ馬超の舌は自分の口腔内を蹂躙し続けている。 「んんっ…」 下し切れない唾液が口の端から零れた。 漸く、唇が僅かに浮いた隙をついて、渾身の力で腕を振り解いて馬超の胸を叩き、即座に身を離す。 「はあ…、はあ……。ば、馬超殿…、一体何のつもりで…」 息も切れ切れに、趙雲は相手の真意を測ろうと問う。 だが、相手は涼しげに口許を弓張り月に歪めたまま、趙雲の視線を真っ向から受け取っていた。 「…どうやら」 僅かの沈黙の後、馬超が口を開いた。 「貴方に惚れたらしい」 簡潔に言われて、趙雲は我が耳を疑った。 「な、何と…?」 「一目惚れのようなものだ」 気にせず、馬超は続ける。 「貴方が欲しい。貴方をこの手に入れたい」 趙雲は言い募られて、混乱の極みにある。 「だから、貴方に言われた通り、劉備に降ろう」 そして、妖艶とも言える笑みをその表情に刻む。 「貴方を逃がさない。貴方を逃がすような真似はしない…。これで貴方は、俺から逃げられん」 趙雲はその宣言に、眩暈を感じた。 誘ってはいけない人物を誘ってしまったのだろうか…。 そう、感じた。 そしてこれが、始まりだった。 THE END... written by 柿野実里様 ---------------------------------------------------- 「不可思議回廊」の柿野実里サマより頂きました素敵小説ですv リクエストを承って頂けるとのことで、 厚かましくも「告白」をテーマにばちょちょ小説をお願いします! と頼んでしまいました。 本当にありがとうございますv 黒い馬超の手の早さに何ともクラリv趙雲の行く末は一体どうなるんでしょう!? |
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